キングダム575話「バジオウ死亡」の真相と衝撃のどんでん返し
William Brown
Updated on August 13, 2026
キングダム575話「バジオウ死亡」の真相——衝撃のどんでん返しと橑陽決戦の後日談
「バジオウが静かに息を引き取りました」——この一言が、キングダムファンの間に電流のような衝撃を走らせた。2018年10月11日発売の週刊ヤングジャンプ第45号に掲載された第575話「届かない指示」。橑陽の戦いがようやく幕を下ろしたその直後、読者の誰もが想像していなかった展開がページをめくる手を止めた。しかし、その「死亡」は本当の話ではなかった。
575話「届かない指示」——橑陽の戦いの余韻と新たな緊張
575話「届かない指示」を簡単にまとめると、楊端和が男を見せた壁将軍をねぎらい、シュンメンがバジオウが死んだと嘘をついて楊端和にボコられ、舜水樹は鄴ではなく列尾に向かい、朱海平原では亜光を失った信と王賁が奮戦しており、大将・王翦からは何の指示も届かないという展開が描かれた。
犬戎との戦いを終えようやく目を覚ました壁だったが、ロゾを討ったところを全く覚えていないらしく、キタリに「お前らしいな」と大笑いされていた。楊端和に「男を見せたな」と声をかけられ喜ぶ中、シュンメンとタジフが姿を見せた。読者にとって、ここまでは温かみのある勝利の余韻だった。壁将軍というキャラクターが長らく背負ってきた「無能」というレッテルを、ようやく脱ぎ捨てた瞬間でもあった。
だが、そこに放り込まれた一言が空気を一変させる。「バジオウは、重傷なものの死亡というのはシュンメンの冗談だったということ。案の定、その笑えない冗談に怒り狂う楊端和。」シュンメンが「今バジオウが静かに息を引き取りました」と告げた瞬間、漫画内の人物たちも、そして画面の向こうの読者たちも、一瞬で凍りついた。
なぜ読者はバジオウの死を信じたのか
バジオウは最後の力を振り絞って、その場にいた犬戎の大半を倒し、楊端和を解放する。そして、そのまま倒れ動けなくなってしまうのだ。この描写が前の話数で丁寧に積み重ねられていたからこそ、死亡の報は「あり得る話」として多くのファンの胸に刺さった。
楊端和が壁将軍をほめたところでほっこりしましたが、シュンメンの「バジオウ死す」の言葉で余韻が一気に吹き飛びました。いくら超人的に強いバジオウとはいえ、死んでもおかしくない状況でしたし。作中における伏線の張り方が巧みで、バジオウの幼少期の回想シーンまで挿入されていたため、「これは本当に死ぬかもしれない」と感じた読者は決して少数ではなかった。
わざわざ子供時代の回想シーンまで挿入して煽っておいて、一種の死ぬ死ぬ詐欺ですよ。やはりアレは、バジオウ死んだと考えた読者が多かったことに対する作者なりのギャグなんだろうと思います。原泰久先生の演出の巧みさ、と言えば聞こえはいい。だがリアルタイムで読んでいたファンにとっては、完全なジェットコースター体験だった。
バジオウとは何者か——山の民最強の右腕
バジオウは実在しない、キングダムのオリジナルキャラクターだ。その他に登場するフィゴ族・メラ族も同様に実在しないとされている。しかし楊端和だけは実際に武将として史実に名が残っている。つまり作者は、史実の縛りを受けない自由なキャラクターとしてバジオウを描くことができる。そこがファンの間で「バジオウはまだ死なない」という根拠にもなっている。
楊端和はバジオウを獣の状態から救い出し、人間として扱ったエピソードは、楊端和の優しさと包容力を示している。二人の絆はキングダム作中でも特別な深みを持つ。バジオウは言葉を満足に話せず、仮面をつけているが、楊端和への絶対的な忠誠心と、その目に宿る感情の豊かさが多くの読者を惹きつけてきた。
キングダム序盤から、圧倒的な戦闘力を持ち楊端和の最強の右腕と恐れられ、頼られていた彼が死んでしまったら山の民の戦力が落ちることは目に見えている。それほどまでに、バジオウの存在は山の民という軍団の象徴的な柱だった。
シュンメンの「冗談」が生んだ、楊端和の珍しい激怒シーン
普段は「山界の死王」として威厳を保つ楊端和が、感情を露わにして暴れる場面——これが575話のもうひとつの見どころだった。シュンメンがバジオウが息を引き取ったとの悪ふざけから楊端和にボコボコにされる場面があったものの、無事だと聞いた一同は皆安堵していた。
シュンメンというキャラクターは、山の民の中でも特に知略に長けた人物として描かれている。だからこそ、この「冗談」が単なる軽率な一言ではなく、何らかの意図があったのではとも読める。しかし読者の反応は圧倒的に「さすがにそれはやりすぎ」だった。緊迫した戦いの後という状況を考えれば、楊端和が激怒したのも当然だろう。
そんなバジオウだが、575話で無事生存が確認された。バジオウは重傷なものの、ロコ族の長老が手当てをしていた。つまりバジオウは生きていた。重傷を負いながらも、長老の治療のもとで回復中だったのだ。ファンにとっては安堵の一息と、「やられた」という苦笑いが入り混じった瞬間だった。
575話が語る「橑陽の戦い」の総括
改めてこの十日間を振り返り、勝ってよかったと壁は涙を流した。そしてこれからについての話へと移り、楊端和から舜水樹率いる趙軍が鄴へと向かわず列尾に向かったことを知らされることに。それは舜水樹が鄴が落ちぬと判断した結果であり、楊端和は「だがそれはあくまで奴らの読みであり、我々は友軍を信じ鄴陥落を信じてここで待つ」ことを告げた。
橑陽という小さな戦いに思えながら、この十日間の激闘は秦軍全体の命運に直結していた。兵糧を一度は焼かれ、壁将軍が大失態を犯し、バジオウが瀕死の重傷を負い、それでも山の民は犬戎の大軍を撃破した。楊端和のリーダーシップ、そして部下への信頼と慈悲——この勝利は単なる数字ではなく、山の民という集団が持つ精神の強さを証明したものだった。
壁はボロボロながら生き残り。兵糧を焼かれた時は、実は楊端和はブチ切れて首を落としそうになったらしい。それほどの失態を犯しながらも壁が生き残り、最終的にロゾを討つという武勲を立てたのは、この戦いの中でも特筆すべき展開だった。
朱海平原との並行描写——575話が見せた戦局の広がり
一方その頃、鄴を包囲する桓騎軍では兵糧が少なくなったこともあってか様々な所から問題が起こっていた。兵糧の残りは何かなければあと三日だと魔論の報告を受けた桓騎だが、何か勘付いているのか、「それにしても王翦の手下共もたついてんなー」と毒づいた。
575話はバジオウの生死という劇的な引きだけではなく、戦局全体を俯瞰した構成になっている点が評価できる。橑陽戦の後日談で温かみのある場面を描きつつ、すぐに朱海平原と鄴包囲へとカメラを切り替える。王翦からの指示がない状況で信や王賁がどこまで踏ん張れるか、そして桓騎の「余裕の表情」が何を意味するか——読者を次号へと引っ張る緊張感の張り方は、さすが原泰久作品と言うほかない。
バジオウの「死亡フラグ」は今後も続くのか——今後の展開と考察
バジオウはそもそも史実に名を残していない。つまり、作者の意図でいくらでも戦場で暴れさせることが可能なはずだ。バジオウの死となれば相当なドラマを作れるはず。それを犬戎との戦いで終わらせるにはまだ勿体ないと考えられる。
実際、楊端和は鄴攻略戦における橑陽の戦いで、犬戎王ロゾとの激闘の末瀕死の重傷を負った。その時も死亡説が多く流れたが、バジオウの命がけの救出により生き延びている。二人の関係は、互いが互いの命綱となっている。バジオウが楊端和を守り、楊端和がバジオウに生きる意味を与える。この構造がある限り、どちらかが欠けることはキングダムという物語の根幹を揺るがすことになる。
バジオウが強すぎる理由は、野生の力と楊端和を守るためだ。悲惨な過去を持ちながら屈することはなく、現在では楊端和の右腕として活躍するバジオウは、楊端和にとって無くてはならない重要な存在だ。その強さの根源が「守る者への愛」である以上、バジオウというキャラクターはまだまだ物語の中心にいるはずだ。
575話が残したもの——読者体験としての「死亡どんでん返し」
キングダム575話のバジオウ死亡騒動は、漫画における「感情操作」の教科書的な例として語り継がれる。回想シーンによる死亡示唆、仲間の沈黙、そして告知の台詞——すべてが「死」を信じさせる方向に設計されていた。それをシュンメンのキャラクター性という一点で「冗談」に転化する構成は、原泰久先生の物語運びの巧みさを改めて証明した。
笑えない冗談に楊端和がブチギレる場面は、同時にバジオウという存在がいかに楊端和にとって大切かを可視化する機能も果たしていた。感情爆発のシーン一つで、二人の絆を何ページもの説明なしに描き切る——それがキングダムという漫画の強さだ。
575話「届かない指示」は、バジオウ生存確認というホッとする結末と、朱海平原・鄴包囲という新たな緊張感の導入を同時に果たした密度の高い一話だった。バジオウ死亡という偽りの衝撃を経て、読者が感じた安堵と笑いは、キングダムというシリーズが単なる戦争漫画を超えた理由を静かに語っている。